( Note )

Note

2026.8.21

美的な審美眼の外側というのが興味ある、昔のinstagramの落ちている服を撮ることやポピー的なものを愛でるオモコロ的な感性という形でずっとあるけど、リミナルスペースも審美眼が拡張された例でもあると思うが、そうした空間は癒される。AIが作ったグラフィックでもあるが、それはまだ癒されるようなものではない生々しさがある。審美眼の外側にあるもの、それは見ることではなく目撃してしまうだけであり、気にも止められないものであり、行為そのものでもある。
哲学における絶滅後の世界という人間が介在していない世界を思考することは可能かというものにも大いにヒントを得られる。カルチャーのデザインというものに対してアレルギーがあるのも事実で、なくても良いと思う。そうなったら新しい無を作るのはどうだろうか。

活版印刷も、テプラもフィジカルレンダリングも作り方を作るやつもなんかコピー機のカスレも手書きアニメーションもちっさいシールペタペタ貼るやつもぐにゃぐにゃの線も文字のサイズ全部同じにするやつも茶色の紙を使うのも紙を切って風で揺らすのも誠実さの証明にはならない。

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